【気になる八尾のあの工場】vol.8 木村石鹸さん

こんにちは!友安製作所 広報のCyan(シアン)です。
今日は連載「気になる八尾のあの工場」の第8弾をお届けします。

友安製作所が拠点とする大阪府八尾市の、ものづくり企業の魅力を発信していくこの連載。

今回はこの4月に100周年を迎えられた老舗石鹸メーカー、木村石鹸工業さんへお邪魔しました!

木村石鹸さんは大正13年創業。石鹸の伝統的な製法である「釜焚き」を、今でも大切にされている由緒正しい石鹸メーカーです。また近年では石鹸の力を応用した洗浄剤のシリーズや、素材にこだわったヘアケアブランドの開発を手がけるなど、多彩なアイテムを提案されています。「くらし、気持ち、ピカピカ」というやさしいテーマのもと、くらしの中の“汚れ”にとことん寄り添ってくれる会社さんです。

そんな木村石鹸さんと友安製作所は大の仲良し。同じ八尾市に会社を構える、くらしに関するものづくり企業ということで、コラボ商品を開発したり、木村石鹸さんの移動販売車を一緒につくったりと、これまでにも様々な場面で力を合わせてきました。

木村石鹸さんの移動販売車「グットラック」と、両社のプロジェクトメンバー

また木村石鹸さんの商品は友安製作所のオンラインショップやカフェの店舗でも取り扱っているので、社内のスタッフにも愛用者が多く、この記事を書いているCyanもそのひとりです。

そんな日頃から繋がりの深い木村石鹸さんが今年4月100周年を迎えられたということで、今回改めてその歩みや、ものづくりの在り方についてインタビューをさせていただくことに。

「気になる八尾のあの工場」木村石鹸100周年特別バージョン、はりきってお届けします!
(いつにも増して長いですが、どうか最後までお付き合いいただけますように..!)

木村石鹸工業 株式会社
大正13年創業の石鹸メーカー。石鹸をはじめ、洗浄剤や化粧品などの製造・販売をされています。【木村石鹸工業さんHP】https://www.kimurasoap.co.jp/

お話をきかせてくださったのは、4代目社長の木村祥一郎さん。限られた時間のなかでたくさんのことをお話いただき、100年つづく企業の厚み、またそこから生まれる広がりを実感させられるインタビューとなりました。そんな中、木村石鹸さんの100年間を語るのに欠かせないひとつのキーワードを発見!それは、「人」でした。
これまでの会社の歩みと、そこにはどんな人がいたのかをみていくことで、皆さんの中にも「木村石鹸工業」という会社の姿を自然と思い浮かべていただくことができるではないでしょうか。

「木村石鹸工業× 人」
100年愛される企業と、人のはなしをお届けします。

木村石鹸をつくった人

創業者の木村熊治郎さん

1924年(大正13年)に木村石鹸を立ち上げたのは、現木村社長の曽祖父、木村熊治郎さん。12歳から歯ブラシ工場で歯ブラシ製造の技術を身に付け、18歳で自分の会社を持ったにも関わらず、40代を目前に突然石鹸メーカーへ舵をきったという、少し変わった経歴の持ち主です。

熊治郎さんが長年の仕事を手放すほど、石鹸づくりに魅せられるきっかけは何だったのか。それは、ある日銭湯で出会った石鹸屋さんのひと言でした。「石鹸って何でできてるか知ってるか?」

読者のみなさんは石鹸が何から生まれているかご存知ですか?私もこのお話を聞くまで意識したことがなかったのですが、石鹸の主成分は油です。当時の熊治郎さんもまた、そのことを知らず、とても驚いたといいます。「汚れというのは油なのに、それを落とす石鹸も油なのか?!」

それをきっかけに石鹸づくりに興味をもった熊治郎さんは、石鹸屋さんへ足を運び、石鹸づくりを見学しました。そこで出会ったのが、今でも木村石鹸さんが大切にしている石鹸の伝統製法、「釜焚き」です。そしてその日を境に「釜焚き」の虜になった熊治郎さんは、歯ブラシ工場をたたみ、石鹸工場で修行することを決意。1年間で石鹸づくりを身につけたのち、「木村石鹸」を立ち上げます。

木村石鹸さんでの釜焚きの様子

手を惜しまない製法と品質に徹底したこだわりを持って石鹸づくりに勤しんでいた熊治郎さんですが、戦争の影響が色濃くなった頃、国からの命令で廃業を余儀なくされました。40歳でゼロからのスタートをきって、新たな家業を築いた熊治郎さんの情熱も、こればかりはどうすることもできず、戦後の立て直しも叶わないうちに亡くなってしまいます。

再び灯し、つないだ人

2代目金太郎さん

戦争の影響で木村石鹸さんの歴史に空白ができてしまったことは悲しい事実ですが、そこで幕を閉じていたら、今の木村石鹸さんは存在していません。
熊治郎さん亡きあと、栞が挟まれたままになっていた木村石鹸さんの物語。それを再び動かしたのは、熊治郎さんの息子、金太郎さんでした。

2代目の金太郎さんは石鹸メーカーを営む父の仕事を側でみてきた存在でしたが、戦後は自分の仕事を持っていました。しかしある時、突然のリストラにより職を離れることになり、思案の末、「親父がやっていた石鹸づくりをもう一度やる!」と立ち上がったのです。

石鹸づくりの土地も道具も既に手放しており、家には何もない状態でしたが、かつての熊治郎さんと同じように、ゼロから「木村石鹸工業」を再スタートさせます。このときまだ幼かった3代目の幸夫さんも、父・金太郎さんを支える存在となり、親子二人三脚で石鹸づくりに励みました。

「父が石鹸をつくると言ったときは嬉しかった」と語る幸夫さんは、学校に行く間も惜しんで石鹸をつくり、中学生の頃には自分で営業に出かけるほどの活躍ぶりでした。

そして大人になった幸夫さんは、ある時近所の銭湯で「銭湯では、掃除に困りごとが多いらしい」ということを聞きつけます。銭湯の清掃作業は重労働なうえ、業務用の洗浄剤には強い洗浄成分が多く含まれていることで作業をする人の手足に負担がかかっていると知ったのです。これは何とかしなければ!と一生懸命になった幸夫さんは、石鹸を使って、人への負担が少なく、汚れをよく落とすことができる洗剤の開発をはじめました。このとき幸夫さんが夜な夜な銭湯へ通い、研究を重ねたことで完成した洗浄剤は、様々な銭湯で採用され、木村石鹸さんの飛躍の足がかりとなりました。

3代目幸夫さん

この頃の成長をきっかけに、株式会社となった木村石鹸さん。八尾の広い場所へ工場を移し、幸夫さんが3代目社長に就任します。幸夫さんも、先代、先先代の精神を引き継ぎ、たとえ厳しい時代でも品質の良さを譲らない、正直な石鹸づくりを続けました。

しかし、長年手がけていたのは、あくまで他の会社が販売する商品や、業務用の商品ばかり。今でこそ自社のECショップや、全国のセレクトショップで自社ブランドの商品を展開している木村石鹸さんですが、ある時期まで「木村石鹸工業」という会社を知る人はほとんどいなかったといいます。

新たな風となった人

そんな中、自社ブランドを持ち、お客様に直接商品を届ける会社へと変化しはじめたのは、20年ほど前のこと。木村石鹸さんに、新しい風が次々と吹き込みます。今回はその中でもある3人の登場にフォーカスすることで、今や多くのひとに愛されている木村石鹸さんのブランドストーリーに迫ります。

4代目木村祥一郎さん

1人目は、今回お話を聞かせてくださった木村社長。幼い頃は八尾の工場の中にあった家で育ち、学校が終わると父が自ら手をかけていた工場内の工事や整備などを手伝っていました。しかし、子供の時からものづくりへの関心はなく、家の工場も、工場が多い八尾のまちも、好きではなかったといいます。高校を卒業すると、「文化的なものやアートの側に身を置きたい」と、京都の大学へ。その後は学生時代の仲間と企業を成功させており、4代目として木村石鹸を継ぐ気は全くなかったそうです。

しかし40歳を過ぎた時、父・幸夫さんに懇願され、経営が傾きかけていた家業の立て直しを引き受けることに。「3年で自分の会社に戻ろう」という思いを秘めながら、渋々八尾のまちへ戻ってこられました。ずっと嫌いだった地元と家業、楽しいことなんて何もないだろうと思いながら帰ってきた木村社長でしたが、いざやってみると小さなものづくり企業の面白さに気がついたといいます。

木村社長をそんな風に変えたのは、木村石鹸で働く社員さんたちでした。当時20名程だった少ないメンバーの中にもプロフェッショナルが多く、アドバイスを投げかけるとすぐに実行してくれる社員たちの姿に驚いたそうです。
そこに可能性を感じた木村社長は、社員たちが失敗を恐れず、とにかくチャレンジできる環境づくりを目指していきました。

そして自ら自社ブランドの開発に着手。社員2人を巻き込んで、「石鹸の可能性をもっと追求できるような、自分たちの商品をつくろう!」と立ち上がります。その時に誕生したのが、「SOMALI」。いまでは、洗剤やハンドソープをはじめ多くのアイテムを揃える木村石鹸さんの人気ブランドです。とにかく素材にこだわってつくった商品であることを伝えたいと考えていたところ、「素材のかたまり=そまり」というアイデアを得て、命名されました。

木村石鹸さん初の自社ブランド「SOMALI」

これでいこう!と満を持してのスタートのはずが、社内ではまさかの大反対。1200円という価格の洗剤は、どれだけ品質が良いものでも、多くの人にとって身近ではないと感じられてしまったのでした。

なかなか社内での共感を得られず、営業活動も進まなかった「SOMALI」。そんなとき転機となったのは、「デザイントーキョー」という大きな展示会への出展でした。デザイン性やクリエイティビティが重視され、出展には審査が設けられている展示会に「SOMALI」が並ぶことになり、営業さんを全員連れて初めての展示会に向かいました。蓋を開けてみると、初日からブースは大盛況!インテリア雑貨やアパレルのブランドが並ぶ中で、日用雑貨である洗剤の存在が逆にバイヤーたちの目を惹き、「これは何ですか?」と話しを聞きにきてくれました。「釜焚きでつくったんです」「素材にこだわっていて」というストーリには「すごい!」「おもしろい商品ですね!」とポジティブな反応が寄せられ、そんな言葉の数々に営業さんたちの表情がどんどん明るくなりました。

展示会を終えると、自社製品の開発に対する、社内の雰囲気が一変!「SOMALI」をきっかけに、自分たちの商品に誇りを持ち、もっと新しいことにチャレンジできる会社へと変わっていったのです。

木村石鹸の新フィールドを開拓!「12/JU-NI」をつくった多胡さん

「SOMALI」が生まれた頃、2人目のキーパーソンが現れます。それは、今や木村石鹸を代表するアイテムであるヘアケアブランド「12/JU-NI」の開発者、多胡さんです。ヘアケア商品の研究・開発者として、素晴らしい経歴を持っていた多胡さんですが、コストパフォーマンスやトレンドばかりが重視される大きなメーカーではなく、「品質にこだわりをもって、効果に納得のいくものづくりができる環境で働きたい」という思いをもって木村石鹸へやってきました。

そんな多胡さんが、入社から5年経ったある日、突然「すごいシャンプーができた!」と声をあげます。それが「12/JU-NI」の原型であり、木村石鹸初のヘアケアアイテムでした。

シャンプーが得意分野である多胡さんに「いつかシャンプーもできたらいいね!」と言ってはいたものの、5年間誰にも話さず、とにかく自分が納得のいく品質を追い求めて研究を続けていたことには木村社長も驚いたといいます。

仕事の傍らとはいえ、5年間も独自の研究を続けていたら、普通の会社では怒られてしまいそうなものですが、チャレンジできる余白を大切にしている木村石鹸さんだからこそ、多胡さんはこのシャンプーを開発することができたのです。

工場で製造される「12/JU-NI」

同時にこのエピソードは、5年間熱意をもって開発に向き合える多胡さんの実直さを表すものでもあります。「とにかく髪に良いものをつくりたい」という一心で生まれたこのシャンプーは、原価を気にしない贅沢処方!実際に使ってみた木村社長も、長年悩んでいた寝癖が減るなど、すぐにシャンプーの効果を実感したといいます。

試しに170人のモニターさんにも使ってみてもらうと、8割のひとが効果を実感し、「早く売って欲しい!」という声が多く上がりました。

どうしても価格が高くなってしまうため一般販売は難しいと考えていたものの、それだけ需要があるのならと、多胡さんのイニシャルをとって「TGシャンプー」と名付け、製品化を進めることになりました。

「らしい」商品の仕掛け人、デザイナー 井本さん

「あれ?木村石鹸のシャンプーの名前は、“12/JU-NI”じゃなかったの?」と思ったみなさん、安心してください。ここで「12/JU-NI」の名付け親、デザイナー井本さんのお話しです。

井本さんは木村石鹸さんの様々な商品やブランディングに関わっているデザイナーさん。ニッチなところに効く洗浄剤のシリーズ「C SERIES」も、井本さんがプロダクトデザインを手掛けています。

井本さんがプロダクトデザインを手がけた「C SERIES」

ある日、木村社長が多胡さんがすごいシャンプーをつくったこと、名前は「TGシャンプー」にして売ろうと思っていることを伝えると、井本さんは「もったいなくないですか?」とひと言。そして、「自分に名前やブランディングを考えさせて欲しい」と申し出てくれたそうです。

それから井本さんは多胡さんにじっくりとインタビューをして、この商品の伝えるべき魅力は何かを考えることに。そうする中で導き出されたのは、「ノンシリコン」などトレンドの売り文句や、派手なポイントがない、「何も言うことがない」ということをそのまま打ち出そう!という斬新なアイデアでした。「12/JU-NI」は、多胡さんが「売りやすいか」ではなく、髪への良さだけを突き詰めたシャンプーであるという本質をそのまま伝えることで、木村石鹸さんが創業時からこだわりとしてきた「素材の良さ」だけをブランディングの武器とすることにしたのです。

だから、ボトルは透明に。パンフレットやECサイトには「このシャンプーが合わない髪質のひともいます」と明記しました。商品名は「髪の適切な水分量が12%」ということから、「12/JU-NI」となりました。

井本さんがプロダクトデザインを手がけた「12/JU-NI」

井本さんの力が加わり、この「12/JU-NI」というシャンプーが生まれたことで、木村石鹸さんはより多くのひとにその存在を知られることになったと同時に、木村石鹸さんの「らしさ」そのものが、お客様の手に届けられるようになりました。

きっとたくさんの人がその正直な言葉や姿勢に共感し、木村石鹸さんの商品を選んでいるのではないでしょうか。そしてその背景には、正直な製品づくりに並走する井本さんの存在があったのです。

そんな井本さんと木村石鹸さんの出会いは、「SOMALI」が発売された頃に井本さんから受け取った一通のメールだったとか。ただの営業メールだと思っていたら、「自分だったら木村石鹸の商品はこう魅せる」というアイデアが添えられたユニークな内容で、木村社長は「会ってみたい」と思ったそうです。デザイン面だけでなく経営視点も兼ね備えた井本さんは次第に頼れる相談役となり、木村石鹸さんの様々なプロダクトデザインを手がけるようになりました。

「お客さんも含め、うちのことが好きで関わってくれるひとが結構いるんですよ」と木村社長。そんな風に「木村石鹸が好き」という素直な気持ちが、木村石鹸さんの正直さと呼応することで、商品たちのシンプルな良さが裏打ちされているような気がします。

木村石鹸とまちの人

木村石鹸さんが大好きで、「一緒に何かしたい!」と思っているのは、私たち八尾の仲間も同じです。木村石鹸さんは、八尾市を中心とした地域一体型のオープンファクトリーイベント「FactorISM」や、八尾のものづくり企業の共創地点「みせるばやお」での活動にも積極的に参加されており、八尾の多くの企業と繋がりあっています。

「FactorISM」で行った木村石鹸さんのワークショップ

木村社長ご自身は、かつては八尾が嫌いだったとのことですが、今のお気持ちを伺ってみると..
「いまは誇るべきまちだと思ってる」ときっぱり。そしてその理由も、やはり「人」だといいます。「八尾には地域に根ざした“何か”がある」。そして、その“何か”はたくさんの面白い人たちがつくっているのだと、「FactorISM」や「みせるばやお」の活動を通して気がついたそうです。

「企業の垣根を超え、横並びで手を繋いでいるような仲間がだからこそ、きっと何をやっても楽しいだろうと思っている」と笑顔で語ってくださいました。

木村石鹸とは、「人」

さて、ここまで木村石鹸さんの歩みと、それぞれの時代を築いたキーパーソンの存在についてお話ししてきましたが、100周年を迎えた今の木村石鹸さんを支えるのはどんな人たちなのでしょうか。

木村社長にうかがってみると、「チャーミングで素敵な人が多いです」と社員愛溢れるお答えをいただきました..!

たしかにその雰囲気は、日頃お会いする社員さんや、SNSで発信される社内の様子からも伝わってくるなあと、頷きがとまりませんでした。

友安製作所Cafe でコラボワークショップを開催してくれた、木村石鹸の社員さん

木村石鹸さんでは、会社の考え方や理論よりも、働く人の感情や考えを大切にされています。チャーミングで愛される人が多ければ、会社も愛される存在になる。社員一人ひとりが醸し出す雰囲気が会社の姿になっていると信じているそうです。

「今後の展望などは特に考えていないけど、社員が一番自慢できる会社にしたい」という木村社長。会社のメンバーは仲間であり、仲間と幸せな状態を続けていくのが目指すべき組織のあり方だと教えてくださいました。

「今後の展望は特にない」。
一見ネガティブに聞こえるかもしれませんが、これまでのお話から、それは凄く自然なことであるように感じられました。

いつの時代も、その時を共にする社員のみなさんによって、のびやかに育まれつづけるであろう木村石鹸さんの未来が、これからも楽しみです。

木村石鹸さんが伊賀の工場で開催しているイベント「IGA Smile」の様子

おわりに

ここまで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
超大作になってしまった「気になる八尾のあの工場」vol.8 はいかでしたでしょうか?

今回は「工場のものづくり」というテーマから一歩踏み込んで、そこに居た「人」という視点で、木村石鹸さんの100年の歴史を緩やかに追いかけた内容となりました。記事のなかでも「100年」と何度も繰り返してきたわけですが、本当のところは、私にとって想像もつかないような長い年月であり、そこにはもっと些細で重大な出来事の数々があったはずです。

ですがこんな風にぎゅっとまとめてみたときに、ここまで「人」で語れる会社さんは本当に稀有な存在だろうと、書き終えたいま改めて思っています。

そして大切な節目のタイミングで、木村石鹸さんにご登場いただけたことは、この連載にとっても、大変嬉しいことでした!

この取材を経て、私自身日常の中で「12/JU-NI」や「SOMALI」を使う瞬間が、ちょっと愛おしく感じられるようになっています。読んでくださった木村石鹸ファンのみなさんにも、少しでもそんな風に思っていただけるなら幸いです。

木村社長、今回はたくさんお話をきかせていただき、ありがとうございました!
そして100周年、おめでとうございます!

木村石鹸さんが伊賀に構える工場「IGA STUDIO PROJECT」
お買い物情報

木村石鹸さんと友安製作所はコラボレーションブランド「LOMA」を展開中。これまでに2つのアイテムを発売してきました。また、木村石鹸さんの「12/JU-NI」「SOMALI」「C SERIES」の一部アイテムは、友安製作所のオンラインショップや店頭でもご購入いただけます。

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